七墓

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現代語訳

私の養父粂治郎と養弟鶴太郎の親子が二か月の間に続いて病死し、私の子供の三人が、それぞれ年忌の年に死にました。また、牛が七月十六日から病気になり、お医者を迎え、鍼をし、薬も飲ませましたが、十八日には死んでしまいました。月日が変わらずに、二年続いて牛が死にました。いつも、お医者を迎えて治療を受け、神々へも願い、祈念につぐ祈念をして、できる限りのことはしたつもりでした。私は『神仏に願っても助からないし、もう、どうすることもできない。残念至極』と、いつも思いながら暮らしておりました。
これは、天地金乃神様へのご無礼を知らずに、大変苦しんでいたのであります。このたびは、天地金乃神様がお知らせくださいまして、ありがたいことでありますと、思わずにおられませんでした。すると、神様が、
「これまでのことを考えてみよ。十七年間の間に七つの墓を築かせたが、年忌年忌の年に知らせてやったのである。
お前は、実意丁寧神信心な者であるから、お前たち夫婦の命は取らない。『知って無礼をすれば、一家の主人から殺し、知らずに無礼をすれば、牛馬を入れてでも七つの墓を築かせる』というのが、この神のことである。」
とお知らせくださいました。
私は、恐れ入りましてご信心をいたし、家内一同も安心できましたことを御礼申し上げました。

注 釈

教祖は、貧しかった養家を再興させるため、一生懸命に働き、村の仕事も人一倍出かけ、その賃金で少しずつ田畑を広くしていかれ、ついには、自作農では村の上位にまでになられます。家も少しずつ大きくしていかれますが、これらの繁栄とは裏腹に、次々に不幸が襲い、いわゆる「金神七殺」の祟りに見舞われました。
金神というのは、日柄方位の神で、「知ってすれば主から取り、知らずにしても目を取る」と言われるほど、犯すと、身内親類など七墓を築くことになる金神七殺の祟り障りの神として恐れられていました。金神は、建築、農業、縁談、旅行、引越しなど、生活全般に関わり、日柄や方角と無関係では過ごされないので、当時の人々にとって、金神の祟りは身近で恐ろしいものでした。人々は事あるごとに専門家に金神の祟る日柄方位を調べてもらって、その祟りから逃れていたのです。
教祖にとって、金神七殺の始まりは、義弟鶴太郎、養父粂治郎の相次ぐ病死でした。それを機に家督を継ぎ、古川とせと結婚。心機一転して家業に精を出し、風呂、便所、門納屋、住居と、建築を次々にしていかれます。金神の日柄方位も専門家の庄屋に調べてもらい、守っていました。
それにもかかわらず、その度ごとに、長男亀太郎、長女ちせ、次男槙右衛門、さらに、農作業に欠かせない家族同様の飼い牛二頭まで、必ず年忌年忌の年に死ぬという悲劇が襲い、義弟・養父の十七回忌の間に、七墓を築かれました。
真面目に努力し、人知、人力の限りを尽くし、養家を繁栄させ、村でも信用されるほどになられましたが、不幸は続くのです。後に、教祖は、養子に入った川手家が金神に無礼があっての七墓だったことを神様から知らされますが、まるで呪われたようなわが身に、金神に対する恐れと共に、「始終、残念至極と思い暮らし」ておられました。そのことを、次の御理解に伺うことが出来ます。

※ 昔から、あの人は正直者じゃ、神仏(かみほとけ)のような人じゃという者でも、だんだん不幸なことが重なって、世間では、どういうものであろうというようなことがあろうが。なにほど、人に悪いことをせぬ正直者でも、人がよいのと神に信心しておかげを受けるのとは別物ぞ。(理3・金光教祖御理解・27)

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