晩年

お知らせ事覚え帳原文(金光大神直筆本)

現代語訳

世界のすべての人々を救うために、また、いろいろと大願を神に向けている人々を助けるために、神がお前を身代わりにさせる。それは、金光大神の威徳が一層輝くためなのである』
以上で書き終わることにする。

注 釈

 教祖は、長男の無心、宮建築、布教公認の問題、自らの病気などの難儀も、その一切を神に任せ、しだいに安心の境地に入っていかれます。
 そして、明治十五年には、「一つ、おどろきありても信心する者には心配なし。夏ばかりとは言わんぞ。寒でも不意病はあるぞ。
天地の間のおかげを知った者なし。おいおい三千世界、日天四の照らす下、万国まで残りなく金光大神でき、おかげ知らせいたしてやる。」とお知らせが下がります。
 これまで宗教は、様々なおかげを説いてきました。その多くは、人間にとって都合のいいことが、おかげであるというものでした。ところが、人生には、ある意味では、思い通りにならないことのほうが多い、難儀の連続と言ってもいいかもしれません。
 だからこそ、人々はその難儀から逃れたり、都合のいい解決を宗教に求めました。また、宗教も、それに答えるべく、ご利益や助かりを与えるために、儀式をはじめ、いろんな難行苦行やお参り、お供えなどの信仰スタイルを作り、さらに奇跡や方便を用いて、人々にアピールしてきました。
 しかし、教祖は、その人が出遭う難儀そのものも、「何事も神の差し向け」、すなわち神の働きであり、神からそれぞれに与えられた最高最善の恩恵だという、難儀の正体、神の本質を見極めたられのです。これまでは、「天地の間の(真の)おかげを知った者なし」であったのが、こうして、人間が、幸福を願って長年求め続けても、どうしても解決がつかず、闇としてきた世界に、ようやく光を当て、難儀の正体を神愛と見極められたのです。
 ここに、救いのない闇の世界のない、助かりの世界が開かれたのです。まさに、前代未聞の世界、人間が勝手に作り出した宗教以前の神が十全に現れた宗教が、教祖によって開かれたと思うのです。この道が教祖だけで終っては、神の願いが成就しないことになります。
 明治十六年、この年は、いよいよ教祖が亡くなる年です。
 神は、子供達に関して、一つ一つ指示を与え、さらに三月十六日には、「一つ、ろうそくを継ぎ目より開き、広う燃え立ち、これにて知らせ。子供五人、四方四天王、七堂伽藍建て、物事安心安心なり」と、これから先の立ち行きを知らせ、教祖を安心させられますが、これは同時に、教祖のご心境そのものであったのだと思います。
 残暑が厳しい八月二十一日、新暦の九月二十一日、亡くなる十九日前、神は、教祖に、「人民のため、大願の氏子助けるため、身代わりに神がさする、金光大神ひれいのため」と伝え、それを『覚帳』に記し、「書きとめ」として、覚帳の執筆を止められました。まさに、このお知らせが、教祖の絶筆となりました。
 この道が教祖だけで終っては、神の願いが成就しないことになります。そこで、神は、教祖の生涯が人間の助かることのための修行であったと称えられます。さらに、これから後のことを心にかける教祖に対して、教祖が神と共に拓いた神人ともに助かるこの道の展開のため、この道を辿り、人の助かることの大願をもつ者を、教祖金光大神の身代わりとして取り立てていくことを約束されたのだと読みとれます。
 そして、かねてからの知らせ通り、旧暦と新暦の日が重なり合っていく、新暦の十月十日、家族の見守る中、安らかに息を引き取られ、この世での七十年の生涯の幕を下ろされたのです。

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