生誕

現代語訳

一つ、このたび、天地金乃神様が私にお知らせ下さり、(明治七年十月十五日)
「生神金光大神よ、お前の生まれた所や、あれこれと古いことを、順序を追って整えて書き出せ」と仰せつけられました。
私こと、金光大神の生まれ所は、今住んでいる所と同じ備中の国の、同じ浅口郡の占見村であります。そこの香取千之助の孫として生まれました。父の名は、十平と申しまして、その次男にあたります。
生まれた日は、丁度、氏神様である大宮神社のお祭りの日でして、午後六時前ごろに、男の子として生まれたのです。その年は、父は酉年の生まれで三十八歳、母は、卯年の生まれで三十二歳でした。
時に、文化十一年(一八一四年)八月十六日(新暦九月二十九日)で、私は、戌年の生まれになります。
名前は、香取源七とつけられました。母は、益坂村の小橋徳八の娘でして、おしもと申しました。
※ 口語訳は『畑 愷 訳本』を参考に、一部、加筆、訂正しております。

注 釈

『覚書』は、教祖の出生から書き出されています。教祖は後に、神様からも人々からも「生神」とまで称えられますが、ここには、教祖が、私達と同じ普通の人間として誕生したことの事実が記されています。
他の教祖宗祖の伝記には、特別な誕生であったり、生まれながらに特別な人間で、特殊な能力もっていたり、普通の人間ではないことが強調された英雄神話に彩られています。 ところが、金光教祖の場合、『覚書』『覚帳』に、自らの手によって、全生涯が赤裸々に書き残されています。脚色などの創作が出来ないということは、とても重要なポイントです。
その出発点が、私達と同じ、普通の人間であったということです。これは、「誰でも、私のように生神になることができる」ということを示すために、その過程を書き残されたと思えるのです。

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