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活字



活字

現代語訳
  翌年の文久元年(一八六一、四十八歳)正月に、神様が、「一つ、東長屋を建てかえよ。二間に四間で、土間の幅は四尺、半間のひさしをつけ、家の中心になる柱は一丈一尺とせよ。用材の買い入れは、益坂村の田村才治郎に頼み、大工は、六条院中村畳屋に住む午年生まれの遠藤国太郎に頼め」
とお知らせくださいました。そして、国太郎に対しては、「この神の命ずる建築は、何月何日に建てなければならないということはない。他の仕事先が急げば、そちらへ行くがよい。いつであろうとも、お前の都合しだいて、木ごしらえができしだいに建てるがよい」と仰せられました。
POINT
 取次を始めて二年が過ぎた文久元年、教祖に、神様は、当時、不吉とされ忌み嫌われた寸法と、金神の日柄方位を無視した人間の都合のよい日程で、東長屋を建替えるよう指示し、「末の繁盛楽しますため」と告げました。
 この神様の指図は、何を意味するのでしょう。かつて祟り神である金神七殺の恐ろしさを味わった教祖に、これら禁忌に対する挑戦と実験を通して、「そんなことで神の祟りや触りがあるのではない」ことを悟らせ、世に示すためであったと思われます。
 教祖は、取次の初期には、まだ、「日柄方位などの金神に対する無礼や障り」について説いていたことを、次男萩雄は次のように伝えていますが、後には、「日柄方位は見るに及ばない」と説き、多くの人が、金神の祟り触りや、日柄方位の迷妄や呪縛から解放されていきました。

※ 「はじめは、『こういう所に井戸を掘っているであろう。それで水神のとがめに遭って目が痛むのである』『こういう所に便所をこしらえたであろう。それが不浄で、障りになっている』『こういう方角へ嫁にやっているであろう。そのためにお気障りができている』などと言われ、『おわびをしてやるから、その方も日々信心をせよ』と仰せられていた。しかし、後には、『信心して、病気さえ治ればよいであろうが。めぐりやとがめを言うことはない。信心さえすれば、それでよい』」と仰せられた。
(教典p515‐1)

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