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お知らせ事覚帳原文 (金光大神直筆本)



活字


現代語訳
 六月十三日(七月十五日)は、鞆の祇園宮のお祭り日であったが、その早朝、お知らせ。
 『(図)世界の国々と日本とを比べると、日本は落ちくぼんだ所で、このくぼんだ所へ水がたまるように、世界中の問題が日本に集まってくる。子供のことは神に任せて、世間体を言うな。世間体を言う者は、親類であっても、おかげはない』
POINT
 明治七年、結婚した二人の娘は、その後、嫁姑や離婚など問題が起きます。また、八年になると、神様が、「正神のことは心配するな」と諭したにもかかわらず、無心は激しさを増します。そういう中で、神様は凹(くぼみ)の図を示し、「唐、天竺、日本、くぼい所へ寄り、同様、水の寄るごとし。子供のこと神に任せ、義理(世間体)を言うな。親類たりともおかげなし」と告げます。このことは大変重要な意味があります。
 御理解にも、子供のことに関して「かわいいと思ってうろたえてはならぬ。放っておくような気になって信心してやれ」とあります。
 この図は、いろいろ解釈されています。ある意味で、御結界(神と人とを取り次ぐ場)は、くぼい所であり、いろんな事が寄ってくるということを伝えられているとも言われます。あるいは、日本には、世界中のものが寄ってくるという解釈もあります。
 次の文章や、正神の状況を合わせて考えてみますと、いよいよ、世間体、常識、プライドを捨てて、教祖自身がくぼんで、神に任せていけ、水が低い所に流れ込むように、一切のおかげが寄ってくるという意味に思えます。
 このお知らせが、前知らせであったかのように、この後、正神の無心は激しさを増します。『覚帳』に記されただけでも、明治五年から教祖が亡くなられる十六年まで、約六十カ所にのぼり、かなりの記述量になります。
 これらのことを思うと、当教会初代教会長大坪総一郎師のことが浮かびます。初代は、私達七人の子供達が、どんなに目に余る事をしても、その度に、「これは私の姿だ」と頂いて、私達には何も言われず、ご自身が改まっていかれました。これは、修行生に対してもそうでした。ですから、教祖も、いろんな問題に出会う度に、このくぼみの姿勢で受けられたのだと推察します。
 後で述べますが、以前の文久三年頃、正神のばくちの借金の取り立てに来るとの話に、教祖は腹を立てて、さい銭箱を表に投げつけられたという伝承があります。そのように、腹を立てたり、心配したりされていた教祖が、事あるたびに、くぼみの心で受けていくことを続けるうちに、後には、「何事も指図すな」「物事安心安心なり」と、いろんな問題や難儀に出会っても安心という境地にまでなっていかれます。
 このように、教祖は、「何事も神の差し向けとして、すべてを受けて、自らの心を育てるという信心」によって、和賀心の心境が進んでいかれているのが分かります。これが金光教の信心の芯だと思うのです。正神の件は、そのことが分かる特徴的な事跡だと思います。だからこそ、そこを分かってくれよという思いで、正神のことも、ここまで赤裸々に書き残されたとしか思えないのです。

 また、この年の十一月から、百日修行を始めておられます。この百日修行は、亡くなる明治十六年にもされていますが、ともに、その内容については分かっていません。

※<金吉様が道楽で、総社で女やばくちにふけっておられたが、金光様は、いっこうお嘆きなされなかった。ある時、相撲取りが素足でわき差し一本差して来、「金光様というのはあなたですか」と言った。私は大刀と小刀を横に置いて金光様とお話をしていた。「金吉というのはあなたの息子かな。どこにいる」
「総社にいますが、それは私の息子です」
「わしは、この間ぶち殺してしまおうかと思った。金を貸しているのに払わない。わしは球磨川という者だが、仲に立って、ここに来て相談せよと言う者があるから、来たのだ。金を出してくださるかどうか。二つに一つの話だ。どうしてくださる。一貫目ばかりの金だが」と言う。私も黙っておられず、「そのお話は私が聞こう」「いや、こうしてお目にかかった以上は直接に話す」「いや、そうだが、話は仲に立つ者がなければならない。私も聞きたいことがある。あなたが金吉と言い、金光様も、わが子ですと言われれば、間違いはあるまい。しかし、借りた者が払ってくださいと頼んだ手紙を持って来なければ、足らないではないか。偽りではないにしても、疑われてもしかたがないではないか。手続きだけはつけなければならないのではないか」。こう言っているうちに、金光様が、「ちょっと部屋に来てくれ」と言われ、
「ごもっともですが、やりましょう。借りているものを、返さないとも言えないでしょう。うそであっても、これは私の家のめぐりです。もと、うそであったら、私の家のめぐりを負って帰ってくれるのです。やりましょう」と仰せらせて、とうとうやられた。>p634 21


※<五人の子供の中に、くずの子が一人あれば、くずの子ほどかわいいのが親の心。神ものう、不信心の者ほどかわいい。信心しておかげを受けなさいよう。>
p273 荻原須喜・26



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