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活字





活字

現代語訳
 一つ、私の家の前に住む鈴木久蔵が、母屋から離れて、長屋住まいをしていましたが、私のまねをして、麦を干さずに俵にしました。ところが、六月(七月)には、「穀象虫が黒くなるほど沢山にわきました」と申して来ました。そして、「こちらでは、どうでございますか。穀象虫が出ませんか」と申しますので、「うちでは出ません」と答えますと、久蔵は、「陽に当てましょうか」と申しますから、「虫がいるのなら、陽に当てるが方がよい」と私は申しました。
 さらに、「こちらでは、どうなさいますか」と申しますので、「私の方では穀象虫がわいていませんから、陽には当てません」と話し合いました。
 久蔵は俵から麦を出し、陽に当てました。穀象虫が沢山這い出て、母屋の中へも入りました。弟の今蔵が、「ばからしい。信心する、拝むといって、素人の言うことを本気にして。拝んで虫がわかないのなら、祈祷者のうちには虫はわきはしない。麦を干さないで俵につめる者が、どこの国にあろうか。馬鹿の極みだ。わしの家までも大変な迷惑をこうむった」
と苦情を述べ立てました。右のしだいを、久蔵が来て話しました。そして、「それでも、私の家の麦は、おかげでそんなに傷まずに、あまり減りもせず、ありがたいことでした」と申して喜んでいました。私が神様に御礼申し上げましたら、「仕事のまねは誰でもできるが、心のまねができないから」とお知らせくださいました。
POINT
 安政五年正月、教祖が弟の広前に新年の参拝をされると、神様が、教祖に対して受け返答することを約束されました。以来、教祖は、家業の農業をしながら、「神様のお知らせ」に従う生活になり、教祖に対する呼びかけも、「金神下葉の氏子」「一乃弟子」と変っていきました。
 神様のお知らせは、教祖の手や目、耳や口、また心に伝えられました。
 さらに、神様の力によって、大きな臼を一人で軽々と引いたり、先の事柄の吉兆や天気の降り照り、過去や先祖のことなどが分かったり、不思議な霊験を体験します。
 また、神様の指示は、植付けや稲刈りなどの農作業から、修行の在り方、長男への家督の引継ぎ、買い物のことまで、生活の全般にわたっています。しかも、当時の常識や価値観、慣習とはかけ離れたものも少なくありませんでした。神様の指示に従われる教祖の姿は、周囲には奇異に映ったり、理解されなかったりもしますが、そのことを通して、教祖のプライドや世間体、常識や様々な観念が崩されていきました。
 しかし、神の力によって、周囲も驚く様々な奇跡も現れ、教祖に対する見方も、だんだん変わっていったのです。
 神様と教祖の関係もだんだん深まり、教祖は、「文治大明神」という神号を許されました。神号は、教祖の信心の段階に応じて、その名称も変化していきます。
 安政六年、長女のくらがほうそう(天然痘)で生死を危ぶまれました。
 教祖は、「以前は、教えて下さる神様もなかった。この度は、教えて下さり有り難い。これで死んでもおかげ」と神様任せになられ、くらは全快しました。
その後で、神号が「金子大明神」に変わりました。
 『覚書』『覚帳』の安政五年、六年には、霊験奇跡や御霊物語など、不可思議な出来事の記述が続きますが、そういう記述は、この二年間の時期に限られ、後には出てきません。このことは非常に意味があります。
 この時代は、神様の力、間違いなさを確認しながら、世間体や常識観念を崩される中に、人間の無力さを知り、人間の計らいをはずして、神様の計らい、御心に沿う生き方が中心に据えられた、土台の時代だったと言えます。
 さらに神様の教導、教祖の信心が進むに連れて、神号も、「金光大明神」、「金光大権現」「生神金光大神」と進みます。
 この時代の霊験奇跡を、信仰的にどう位置付けるかは、重要なポイントになります。霊験奇跡や御霊に関することは、不思議でドラマチックで華々しく見えますが、信心の一つの段階、神様との関わりの草創期、原初的な未成熟な時代ということになります。

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