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活字



現代語訳
 七月二十四日(九月八日)に、神様が、「運気、運勢、建築、修繕、方角、縁談、引っ越しのことで、お願いに参った者には、教えを説いて聞かせるだけでよい」とお知らせくださいました。この日は、日天子様のご縁日でありました。
POINT
 そういう信仰に対して、神様は「運気、運勢、普請、作事、方角、縁談、宅替えのこと、理解でよし」と、困った時の神頼み的な信仰とは、明らかに違った、新たな信心の世界を示し、教祖の教導の方向を明らかにしました。
 神様は、「何事も神の理解承り、承服いたせば安心になり、神仏とも喜ばれ、…氏子繁盛守りてやる」と、祈念祈祷による奇跡や、一時のおかげに終始するのでなく、「本来あるべき信仰の姿」「人間が真実助かっていける世界」を伝えようとされたのです。
 「理解でよし」を受けて、教祖は、難儀や問題の奥に込められた神様の心を分かり、神様の心に沿う生き方をすれば、神様も喜ばれ、尽きぬおかげが頂けることを、身をもって伝えていきます。それはまた、教祖自身の「おかげ信心」からの脱却といえるでしょう。金光教は、「話を聞いて助かる道」と言われますが、その始まりであり、信仰の改革だと言えます。
 こうして、教祖自身も、金神の祟り障りや、様々な禁忌や呪縛から解放され、これまでの現世利益のためだけの宗教とは全く違う道を歩き始め、いよいよ、神様の心底、本質が明らかにされていきます。

※日柄方位は見るにおよばぬ。普請作事は、使い勝手のよいのが、よい家相じゃ。よい日柄というは、空に雲のない、ほんぞらぬくい、自分に都合のよい日が、よい日柄じゃ。いかに暦を見て天赦日じゃと言うても、雨風が強うては、今日は不祥のお天気じゃと言うではないか。日のお照らしなさる日に良い悪いはないと思え。
(理3・金光教祖御理解・65)

※人間は勝手なものである。いかなる知者も徳者も、生まれる時には日柄も何も言わずに出てきておりながら、途中ばかり日柄が良いの悪いのと言うて、死ぬる時には日柄も何も言わずに駆けっていぬる。
(理3・金光教祖御理解・66)
 関連=教典p367−10、p389−48、p432−1、p632−15、p632−1、p855−116

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