アクセス/地図
ホーム > 教典 > 教祖略歴 > 天地書附
お知らせ事覚帳原文 (金光大神直筆本)




活字


癸酉正月二十二日ばん、門の鳥居とり納め。
広前は宵にかたづけ。
新二月十八日ばん七つよりのち。同じく荒れの亡所に相成り候。旧正月二十一日に当たり。
現代語訳
 十五日(四月十一日)、
 『  生神金光大神 天地金乃神 一心に願
    おかげは和賀心にあり
    今月今日でたのめい
という書付を書き始めて、ためておきなさい』と仰せつけられた。
POINT
 神前を退き、ひと月になろうとしていた二月十五日(新3月13日)、神様は「金光、生まれ変り」と告げました。
 この明治六年の神前撤去は、教祖にとって、なすすべのない出来事でしたが、その中から金光教の信心の根本ともなるようなことが、次々に、神様から伝えられます。それは同時に、教祖の、これまでの信仰の総括と、これからの進むべき道を確立された、大変意味のある、まさに生まれ変りの年になりました。
 生まれ変りを告げられた二日後、神様は、「天地金乃神 生神金光大神 一心に願 おかげはわが心にありという書付いたせい」と指示されました。これは、後日下がる、『天地書附』の原形ともいうべきものです。
 二月二十二日になると、戸長から許しが出、翌日から、神前奉仕を再開。三月十五日(新4月11日)には、神様から、次の書付を書きためよとお知らせが下がりました。(写真)
 これが今日、金光教の信心の神髄であり、一切の拠り所とも要諦ともされる『天地書附』なのです。神名も「天地金乃神」と確定し、信心の目的、在りようが凝縮されています。さらに、取次の座も、現在の御結界の位置が指示されました。

※ 「『今月今日で頼めい おかげは和賀心にあり』という見識を落としたら世が乱れるぞ。神々のひれいもなし。親のひれいもなし」 p201 理1・市村光五郎・11
※ 「和は和らぐで、賀は祝賀の賀である」 p602 理2・角南佐之吉・8
※ 「信心はやすいようでも、なかなかむずかしい。三年五年の信心では、まだ迷いやすい。十年の信心が続いたら信心家じゃ。日は年月のはじめじゃによって、その日その日のおかげを受けたら何十年何百年も立ち行こうが。今月今日で頼めい。おかげは和賀心にあり。取り越し苦労をすな」 p602 理3・尋求教語録・172



> 教祖略歴へ > 神前撤去へ戻る > 『覚書』執筆へ
  Copyright(c)AIRAKU All right reserved.