教祖様が明治七年十一月二十三日「覚、前後とも書き出し」という神命を受けて記述した、信仰自叙伝ともいうべきものです。生誕のことから筆が起こされ、養子になったこと、それ以降七墓を築いた苦難の前半生、実弟香取繁右衛門によって金神信仰に接したこと、やがて取次の業に専念するに到った過程、その後の信心の歩み等が、明治九年六月まで、ほぼ年代順に記されています。安政四年十月以降の記述は、『覚帳』の記述を参照して書かれたと思われます。
教祖直筆の原本の所在は現在不明ですが、二代金光四神様(三男宅吉)が、教祖様没後、明治二十一年八月四日までに筆写されたものが残っています。
(昭和44年 金光教本部教庁 刊)