正神の無心

お知らせ事覚え帳原文(金光大神直筆本)

現代語訳

 明治十一年新暦六月二十三日、旧暦五月二十三日、新暦旧暦ともに二十三日、
一つ、岡山の中屋敷内に住む角田定吉という、もと浅尾藩の足軽であったという人が、「浅吉さんのことで来ました」と言って、浅吉のもとの妻、兼の復縁のことをすすめてくれた。
私は、その人に任せた。定吉は、「この件につき、五円出してもらいたい」と頼んでおいて帰った。
二十五日(六月二十五日)に金光正神が来て、右のことについていろいろと私に言うので、神様にお伺いしたら、 『正神は、心を改めたから、宝物をやる。三社の託宣の掛軸である。
人を助ける心になれ。前々の心を捨てて、辛抱せよ。そうすれば、もう一度、取り立ててやる。しかし、今度、心を乱したら、犬猫同様に扱うぞ。たとえ、人が送ってきても、納屋の隅で養うぞ。
今度は、三年辛抱せよとは言わない。一年まさりになるようにしてやる。かごをかついで行商をしても、その日に売れ残ることもあろうが、余る物があるならば、家主か同じ借家の人にでもあげて、「食べてください」と言って渡すがよい』とお知らせ。
私も、「金銭の不自由なところを、なんとか都合をつけて貸すのである。今度、心を乱したら、いよいよ勘当である。病気になっても、犬猫同様に扱うぞ」と教え諭した。
旧暦五月二十五日(六月二十五日)に、神様のお知らせを書きつけた。

注 釈

 明治五年くらいから記述されている長男正神の無心は度重なり、明治十一年にはピークになります。読んでいて、切なくなるほどです。年頭早々から記述があり、神の気障りでこの年が始まったという感じさえします。
 「…心の鬼に身を責められて難儀、親に心配させ。やけは貧から。末の難渋。わが妻子に難儀させ。病気づき、動きも這いもならぬ時はどうする。ぜひ役場突き出し、生まれ所へ送りつけられ、親兄弟も喜ぶまいが。考えてみい。親も神も同様。かわいいからみんなに理解いたし。聞かん者はしようがなし。金光正神こと。…また十銭こづかい。母願い。やったと申し。」(p138-4)
 「一つ、金光正神三十円むしん。たびたびのこと。神様お願い、お知らせ。ばくち借りたのこと、ひひてなしうてなし、ひき破りてしまえと言うごとく、なんぼうやっても尽きん。海へ流すごとく。家内の物やってしまえ、とお気ざわり。
また明け二十五日お知らせ。一人にやっては、あとの子供やる物なし。五人の分け地というはできんから、其方の着物みな負わしていなせ、と。」(p139-8)
 「…神様お伺い。正神、心の改め、宝物やる。大神宮のかけ物。人助ける心になり。旧心去り、辛抱いたし。もう一度取り立て。こんど心狂うたら犬猫同様、人が送りて来ても納屋のすみで養いする。こんどは三年辛抱とは申さん。一年まさりになるようにいたし。…とお知らせ。
私も理解申し。金子不自由なところをことかいて貸せ。こんど心狂うたら、いよいよ手切れなり。病気になりても犬猫同意にいたすぞ。旧五月二十五日書きつけ。」(p141-14)
 というように、次々に神から、厳しい言葉が下がります。それでも正神は、なかなか改まらず、また、母親も情に負けて、金をやってしまうということの繰り返しでした。
 ところが、明治十二年にはまた、正神に対して、神様、また教祖自身に大きな変化があります。昨年までは厳しい姿勢でしたが、この年の六月に正神が帰宅した折には、神様から、「何にも言うことなし。お神酒下げて家族中に頂かせて、機嫌よく杯させ、円くなり。いつまでも繁盛させる」(p148-12)と優しい言葉が下がりました。教祖もまた、正神に、「神のことを忘れるなよ」(同)とだけ言葉をかけただけでした。

 神は、その一方で、妻とせと正神とに対して、「一つ、一子大神、せがれ正神につき、五、六年こちら病気。おいおい身がやせ、腹は大きくなり、気分折節悪し。天地金乃神様たびたび親子へご理解あり。親子ともにそむき、母は身の弱し難儀、子は金子につき身の難儀。当七月には使い下女につき格別の心配。金子につき親兄弟までに心配かけ。いたしかたもなし、わが心ゆえ。」(p149-18)と伝えています。
 さらに、「三年先、金光正神こと、金のこと心配すな。同大神より先へ死ぬることなし。家内中安心の心になり」(p150-21)と知らせを受けています。

 このような記述を見れば、教祖自身、この十二年には、正神に対して吹っ切られたものを感じます。思えば、文久三年当時、正神のばくちの借金の取り立てにくるということを聞いた教祖は、腹を立て、さい銭箱を土間に投げつけたと、高橋富枝が伝えています。あれから、正神は武士になり、出世した喜びもつかの間、明治になり武士の身分が廃止されてからは、商売にも失敗し、ばくちにも手を出して、借金を重ね、神の厳しい戒めにも改まることなく、無心を続けた十七年で、教祖も親として、様々な思いをされたでしょう。
 ところが、この年の十月には、正神が賭博行為で逮捕された記事が山陽新聞に掲載されたにもかかわらず、そのことには何も触れておられません。ここに至って教祖は、何も言うこともなく、記述する必要がないほどまで、安心の境地を開かれたのでしょう。正神の無心は続いたようですが、これ以降、ほとんど記述がありません。

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