心甚 心神 信心 しんじん

「心甚」
舟があっても、櫓がついていても、人がのって櫓をあやつらねば舟はあっても無いにもひとしい。
神様はあっても人が神をもちいて、はじめて神の存在がわかるのである。
甚とは、「あやつる」ことである。
「心神」
あるやらないやらわからぬ心で、あるやらないやらわからぬ神を拝むのである。
そこからはじめて神ありという信心が生まれてくる。
「信心」
信心とは、神を信ずる心である。
「しんじん」
信心がみやすうならねばならぬ。
自動車の運転が出来る人に、自動車の運転はむつかしいかと問うてもむつかしいとは答えぬように、信心もひととおりわかるようになると、信心は有難く楽しくみやすいものである。
しんじんと、みやすく平仮名で示しておられるのです。