現代語訳
一つ、津に住んでおられる小野光右衛門様の所で、私は読み書き算盤を習わせていただきました。それは、私が十三歳(文政九年・1826)から十四歳(文政十年・1827)にかけての足かけ二か年間のことでありました。
注 釈
養家は、一反九畝の田しかない貧しい農家でした。養父は、江戸に出稼ぎに行って苦労したため、貧乏でしたが、教祖を庄屋の所に二年間、手習いに行かせました。当時の農民は、読み書きが出来ないのが普通でしたから、特別なことでした。大谷村の庄屋、小野光右衛門は名のある学者で、大庄屋を務めるほどの人物でした。
この手習いは、教祖にとって、後々、大きな意味をもつことになりました。文字を覚えたことで、自分の生涯を『覚書』『覚帳』に記すことができ、後世の私達が、教祖の全生涯を辿ることが出来るのです。
また、庄屋も教祖に目をかけました。そういう関係もあって、庄屋が村の諸事を記録した小野家文書に、教祖に関して克明に記述されており、村での仕事振りや役割、また、教祖の時々の事跡、例えば、山伏事件や宮の建築などに関しても、『覚書』『覚帳』の記述が事実である裏付けとなっています。