神の頼みはじめ

現代語訳

 安政四年(一八五七、四十四歳)十月十三日(十一月二十九日)の日の暮れるころ、亀山村から使いの者が来て、「あなたの弟の繁右衛門さんが気が違い、『金神様がお乗り移りになったぞ』と言われて、心が乱れ狂っている様子です。『早く大谷村へ行って、戌年生まれの兄の文治を呼んで来てくれ』と申されました。早く来てください」とのことでした。
 そこで、私は、すぐに亀山村へまいりました。親類の者は言うに及ばず、村の中で親しくつき合っている人々が、待ち受けておられ、「よく来てくださった。なんとか、なだめたりすかしたりして、どうぞ、繁右衛門さんが治るようにお願いします」と申されました。
 私は、繁右衛門のいる前へまいりました。すると、「文治よ、よく来てくれた。金神が頼むことがあって、お前を呼びにやったのだ。金神の言うことを聞き入れてくれるか」と言われたので、私は、「私の力にかなうことでしたら、させていただきます」と答えました。すると、「他でもないが、このたび、この繁右衛門は、やむをえず、家も敷地もかわらねばならなくなったが、僅か十匁の金さえ借りる所がない。そこで、建築の費用を、金神が頼むのだ」と言われました。私は、「してあげましょう」と申しあげました。それを聞かれて、「それで、神も安心した。一同の者も、一日中ご苦労であった。お開きにしてくだされ。庄屋の奥様には、若い人がお供をして行ってくだされよ。神が頼む」と言われました。
 そのあとで、また、神様が勇み立たれました。私は、「お静まりくださるように」とお願いしました。すると、「静まってやる」と言われて、繁右衛門の体は、神棚に飛びつき、そのまま倒れて、寝入ってしまいました。
 親類の人々は、正気のこととは思わず、憑きものを落とす祈念祈祷の相談をいたしておりました。一晩明けて、繁右衛門も目を覚まし、元どおりの正気に返りました。私が、「昨日のことを、皆覚えているか」と言って尋ねましたところ、弟は、「全く何も知らない」と答えました。そこで、私は、「覚えていない、というのならば、いたしかたがない。お前の妻にでも、皆様に、ご迷惑をかけたことのお詫びをさせ、また、お世話になったことのお礼を申しに回らせなさい。その後で、お前が、村役場へお礼に伺い、それから建築にかかるがよい」と申しておいて、わが家に帰ってきました。これは、十月十四日(十一月三十日)のことでした。

注 釈

 教祖は、四十二歳の時の金神との出会いが蘇ったのでしょう。神様へのお礼と、神様の願いに応えたいという思いから、神がかりの弟を通しての神様の頼みを受けて、金神の宮を建てられました。
 弟は金神の神前に奉仕する身となり、以来、教祖は、弟の金神広前に参拝して、信心を進められます。
 ある時、妻の妊娠が重いことを願うと、「妻が考え違いをして、この子を産むまいと思っている。この子を育てよ」とお告げが下がります。妻は思いを改めると、身軽くなるというおかげを受けました。
 これから十一年経た慶応三年、神様は、この宮建築のことを、「神の頼み始め」であったと明かされました。教祖は、『お知らせ事覚帳』を、この安政四年の「神の頼みはじめ」から書き起こされています。

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